たぬき暮らし

たぬき顔の嫁と子供と暮らしているので。

アンパンマンに教育的効果を求めることは間違っている

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アンパンマンの哲学は深い。
アンパンマンは、みんなと仲良くしたいと思っている。それは、ばいきんまんに対しても例外ではない。事実、ばいきんまんが悪さをしない限り暴力を振るうことはない。むしろ、アンパンマンをやっつけることを「夢」とするばいきんまんの生きがいを奪わないよう、毎回半殺しで許してあげている。このように、アンパンマンが単なる「勧善懲悪」ではなく、「共生」をテーマにした作品であることを知らない人は多い。


しかし、アンパンマンを普通に見ていると、ただただ正義の味方が悪者をフルボッコにしているようにしか見えない。その作風が、子供に「暴力で解決する考え方」や「やられたらやり返す精神」を植え付けると批判する人もいる。確かに、背景にはやなせたかし先生の深い哲学があるが、私自身、何気なく目にするアンパンマンからは、「悪い奴を暴力で懲らしめる短絡的なアニメ」という印象しか受けない。


ちなみに、私は子供のとき、アンパンマンが大好きだった。ライバルであるばいきんまんを憎み、「ばいきんまんめ!!」とおもちゃでテレビ画面を叩いていたらしい。見事に「ばいきんまんはやっつけるべき存在だ」という、やなせ先生が意図していない思想を植え付けられていたわけだ。


分別がある程度付いた今も、「悪い奴は懲らしめられるべきだ」という考えは変わらない。そう考える人は多いだろう。そして、アンパンマンのように「審判者」であろうとし、私刑に及ぶ人もいる。自分を不快にさせた人を悪と決め付け、自らの手で裁きを下す人。自分に無関係のことでも、犯罪や常識を逸脱した行為が話題に上がれば、本人や関係者の個人情報を拡散して「ネット私刑」を実行する人がいる。
しかし、我々一般市民に人を裁く権利はあるのだろうか?


そういう人は、本来正義感が強い人なのだろう。傷付けられた人がいて、「自分には関係ない」と無視を決め込むのも、それはそれで違う気がする。
しかし、憂さ晴らしだったり、個人的な感情を孕んだ正義は、正しいと言えるのだろうか?


勧善懲悪の思想が蔓延しているのは、アンパンマンのせいだけではない。他にも、多くの著作物が勧善懲悪をテーマにしている。というか、大人からの教育の影響が1番大きい。アンパンマンを含め、多くの著作物はエンターテインメントである。教育的側面があったとしても、それはあくまでプラスαである。


だから、アンパンマンが教育上良くないと考え、子供に見せないというのは間違いだと思う。見せなかったからと言って、人格者に育つ保証はない。
最も大事なのは、「正義だからって何でもしていいわけじゃないんだぜ」と教える、大人の存在である。


幼児向けアニメには、絶対的な悪は存在しない。アンパンマンでは、ばいきんまんが良い奴として終わる話もある。ばいきんまんを絶対悪とさせまいとするやなせ先生の意図が隠れている。教育上良くないと散々言われているクレヨンしんちゃんも、人間らしい、愛すべき悪者が多い。トムとジェリーだって、いつもやっつけられているトムが、ジェリーをやっつける回もあれば、2匹仲良くやっていく回もある。現実世界でもそうだ。悪いところしかない奴は存在しない…と思う。


要は、バランスなのだ。とにかく多くの物に触れれば、それだけ子供にとっての選択肢が増える。親の主観で教育上の良い悪いを取捨選択して、良いものだけを与え続けて、親の都合のいい子供に育てようとするのは親のエゴだ。それで、子供は親の思い通りに育つのか?そもそも、親が「良し」とするものは、社会全体からしても「良し」なのか?親だから絶対正しいといえるはずもない。


しかし、これは綺麗事だ。子供は真っ白な存在である。これから何色にも染まり得る。善悪や現実と仮想の区別も付かない。親のエゴだろうがなんだろうが、我が子に真っ当な人間になって欲しいと願うのは、親として当然のことだ。


自分のことを振り返ると、影響を受けたアニメやゲーム、漫画は無数に存在するが、一番影響を受けたのは、やはり親である。小学校高学年までバイオハザード等のホラー系・スプラッター系の作品に触れるのは禁止されていたし、5時以降はゲーム禁止。ゲームは1日2時間までで、成績が悪ければゲーム機を没収された。ケータイは高校入学まで禁止だった。ジュースはたまにしか買ってくれないし、カップラーメンも月1回しか食べられなかった。色んな制約があって、当時は不満に思うことも多かったが、親は私にとって絶対的な存在だったので、しぶしぶ従っていた。中学生になって反抗期を迎えたとき、色んなことで親に反発し、説教されたり殴られたこともあったが、親は私の世話を放棄することはなかった。親に感謝するようになったのは大学生になってからだ。


立派な大人になれている自信はないが、可愛い嫁と子どもがいて、平均的な給料をもらって生活できている。今、私は幸せだ。今幸せだからこそ、親に感謝しているが、もし不幸せだったら、どうだっただろう?


「子供は育てるものではなく、育つもの」とはよく言ったものだ。義務教育が始まり、集団生活をするようになると、親が子供の人間関係を全てコントロールすることは不可能だ。子供がどう成長するか、当然親に責任がある。しかし、同じように子供本人にも責任はあるのだ。親であろうと自分の人生の責任を誰かに押し付けてはいけない。


スヌーピーは言った。
「配られたカードで勝負するしかないのさ」


親の教育、しつけや、アニメやゲーム、他者との関わりの中で触れた価値観など、全て「カード」に過ぎない。アンパンマンもそう。与えられたカードでどう勝負していくかは、子供次第だ。我が子には、なるべくたくさんのカードを、そしてなるべく良いカードを渡してあげたい。子供向けアニメなんて、真剣に見ればツッコミどころ満載だ。教育に悪い部分がない作品があるとしたら、それは毒にも薬にもならないということだろう。もちろんそれでも、子供が面白がって見ているならいいと思うが。


アニメやゲームで子供の人生が左右されることはないし、あってはならない。そうならないように色々な作品、価値観に触れさせるべきだ。育児は親の仕事である。アンパンマンに教育的効果を求めるのは、間違っている。


子供が望むなら、アンパンマンを一緒に見ようではないか。ただし、もし誰かに「アンパ~ンチ!」と暴力を振るおうものなら、私の鉄拳制裁が待っている。