amazarashi「エンディングテーマ」の歌詞の意味を考察してみる

ゆとりだけにゆとりある生活を送りたい、キスケです。

amazarashiの「エンディングテーマ」という名曲がある。

今回はこの曲の歌詞の意味を考察してみる。

「エンディングテーマ」とは?


www.youtube.com

「世界収束二一一六」というアルバムに収録されている曲。

YOUTUBEのPV動画の説明欄には、次のように書かれている。

2116年の病室。人々が遺したエンディングノートを手繰り寄せながら、最期の言葉を探す男、秋田ひろむ。

満たされないときほど、渇望する力は強くなる。
死を目前にしたときほど、より強く生きたいと渇望する。
それは多分、この世でもっとも強い「願う力」

「死」をテーマにした曲だが、私は初めてこの曲を聴いたとき、「生きたい」と思った。

考察


歌詞の順番に沿って考察していく。

歌詞全体はこちら
https://www.uta-net.com/song/203096/

1

こんなに空が青いのは ちょっと勿体ないな 少し曇ってるくらいの方が 丁度いいよな
真っ白な病室の 窓の向こうでは そろそろ桜も咲くんだろうけどな

「僕」なんかが死ぬときにこんなにいい天気、いい季節なのはちょっと勿体ないということか。

2

満たされていたいって いつも思うけれど 満たされていないからこその 願う力
腹が減ってる時の 食欲みたいな物 あなたはどうか大事にしてね

満たされたいと思う感情には、キリがない。足るを知るというが、身の丈に合ったレベルでは満足できない。
ミニマリストという、物にしても、人間関係にしても、必要以上持たない主義の人たちがいる。私もそうなりたいと思っているのだが、もっと満たされたいという欲求を抑えることができない。

 

秋田ひろむは、そうした欲求を、食欲のように生理現象に似たものであるとし、「大事にしてね」という。

3

失う事に慣れたりしなかった 最後まで僕は悲しい人間でした
だけどそれと引き換えに 僕は願うのです 生きて 生きて 生きていたいよ

最後まで執着心を捨てることができなかった自分を悲しいという。
しかし、執着するからこそ、生きたいと強く願うのだろう。

4

僕が死んだら 流れ出すエンドロール 僕が主演の 青春群像
お世話になった人達の 名前がずらっと並べば 何時間掛かるか分からないや
そんな事考えると ちょっと笑えてくるよな
だからエンディングテーマはこんなもんだろ

「青春群像」とは、1953年に公開された、5人の若者を描いたイタリア映画だ。この映画との関連性はわからないが、「僕」の人生は青春そのものだったのだろう。
「僕」が死んだとき、たくさんの人物が登場する、人生という「僕」が主演の映画のエンドロールが流れはじめる。お世話になった人が多すぎて、出演者・制作者・協力者を全て流すのに何時間掛かるのかわからない。
そんなことを考えるとちょっと笑えてくるが、だから、「僕」の人生のエンディングテーマはこんな感じでいいのだろう。

5

幼い頃飼ってたペットが死んだとき あまりの悲しさに 出会わなきゃよかったと思った
手にする喜びと 失う悲しみ 天秤にかけるのは 馬鹿げたことです

出会う喜びの方が大きいのなら、出会った方がいい。別れる悲しみの方が大きいのなら、出会わない方がいい。
そんな風に考えるのは馬鹿げている。

6

偉そうな事を言ったりしてごめんな 本当に僕が言いたい事は つまり
僕の中で生きている 僕が愛したもの達みたいに あなたの中で生きていたいよ

解説できることは何もない。
「本当に言いたい事」は、とてもシンプルでわかりやすい。だからこそストレートに感情に訴えてくるものがある。

7

僕が死んだら 流れ出すエンドロール 人はそれぞれ 日常に戻って
ふとした時に思い出して 欲しいけどさ 我ながら名作とは言えないもんな
そんな事考えると ちょっと笑えてくるよな
だからエンディングテーマはこんなもんだろ

「僕」の死を悼んでくれた人たちも少ししたら日常に戻る。
ふとした時に思い出してほしいけど、「僕」の人生は「青春群像」みたいに名作とは言えないからな。
そんなことを考えるとちょっと笑えてくるが、だから、僕の人生のエンディングテーマはこんな感じでいいだろう。

8

失い続ける事で 何か必死になれる力が宿るのなら
満たされていないってのは 幸せなのかな だとしたら 今の僕はきっと幸せなんだな
なのに
心が痛いよ 涙が止まらないよ

失うことに慣れなかった僕に宿ったもの。それは、失わないために渇望する「力」。そして、失わないために必死で足掻く「力」というか「生き方」ではないか。

別れは必ず訪れる。いくら必死になっても、満たされることはない。
でも、失わないために必死になって築いたその人、そのモノとの関係性や思い出は、何よりも貴重で、かけがえのないものになっているのではないだろうか?それだけ一生懸命生きてきたということではないだろうか?
だとしたら、それは幸せだということだ。

なのに、いや、だからこそ。
これから「僕」が死ぬことで訪れる別れに心が痛むのだ。

9

あなたが死んだら 流れ出すエンドロール 僕はきっと 脇役なんだろうな
少し寂しいけれどきっと それでいいんだ あなたが幸せだった 証拠だから

「あなた」が死んだときに流れる、「あなた」の人生という映画のエンドロール。
その映画で「僕」は脇役だったんだろうと言う。

「僕」の人生における主役は「僕」でしかないし、「あなた」の人生における主役もまた「あなた」でしかない。だから、脇役なのは当然だ。
脇役の解釈には二通りある、主役ではないが重要人物、主役でもないし重要人物でもない。文脈からみると後者だろうか。

「僕」の人生での「あなた」が重要人物なのに「あなた」の人生における「僕」がただのモブキャラだったとしたら、その寂しさは少しではないような気がする。
かといって「あなた」の人生における僕が重要人物であるなら、寂しく思わないだろう。

「僕」と「あなた」の関係性はわからないが、多分あなたの人生における僕はただのモブキャラだったのだろう。
寂しいが、「あなた」がそれはそれだけ多くの人やモノと出会い、たくさんの思い出を持っているということ。

10

僕が死んだら 流れ出すエンドロール あと18小節のエンディングテーマ
あなたの胸に焼きついて 消えないような 気の利いた言葉を 言いたいんだけど
そんな事考えてたら もう時間か
最後はやっぱり 「ありがとう」かな

解説できることは何もない。

 

最後はやっぱり、「ありがとう」なのだ。

最後に


今の私は、満足できないことだらけだ。でも、きっと幸せなのだ。
死ぬときに何を思うのだろうか?「ありがとう」ならいいなと思う。

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