たぬき暮らし

たぬき顔の嫁と子供と暮らしているので。

amazarashi「性善説」の歌詞の意味を考察してみる

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今回は、amazarashi「性善説」の歌詞の意味を解釈していく。

「性善説」という言葉の意味

辞書(大辞林 第三版)では、このように説明されている。

人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。


そもそも「善」とは何か?こちらも辞書で調べてみた。

よいこと。道理にかなったこと。また、そのようなおこない。


つまり、性善説は、「本来はみんないい人」だと説いている。

性善説の歌詞の意味

この記事を読んでくださっている方は、既に「性善説」を聞いたことがあると思う。 「みんな本当はいい人なんだ」などと、眠たい事を歌った曲ではないことは既にご存知なはずだ。


歌詞の中で、何度も「ママ」という人物が登場する。「ママ」は、色んな教えを「僕」に与える。その教えに対するリアクションという形で曲は進んでいく。


歌詞の順番に沿って、考察していく。

みんな仲良く

ねえママ あなたの言う通り 彼らは裁かれて然るべきだ
奪えるものは全部奪っていった 崩れたビルに 戦車と夕日

ねえママ あなたの言う通り 隣人は愛して然るべきだ
陰口ほど醜いものはないわ 手を取り合って 微笑み合って

ママは、僕にこう教えた。
「人類は、皆仲良く手を取り合って生きていくべき」で、「戦争に加担して物や命を奪う人間は、罰を受けるべき」であると。

ママが願うのは、僕の幸せ

こんな時代に生き延びるだけでも 容易くはないわ どうか幸せに

戦争に陰口、悪意がはびこるこの世界、この時代で生きていくことは大変だ。ママは僕が幸せであるようにと、願う。

この世界はうるさい

寝ぼけ眼でテレビをつけて ぼやけた頭に無理矢理流れ込んだ
殺人だ強盗だ人身事故だ 流行だアイドルだ もううるせえよ
人心地つける余裕もなく 僕らの日々は流れに摩耗して
明るいニュースを探している 明るいニュースを探している

この世界は、情報に溢れている。殺人・強盗・人身事故・流行・アイドル...テレビは色んな情報を一緒くたにして垂れ流してくる。日々の暮らしで精一杯なのに、聞きたくもない色々なノイズが耳に入ってくる。「明るいニュース」のような、耳心地がいいことだけ聞いていたいのに。

他人を蹴落としてでも勝ち組になれ

ねえママ あなたの言う通り 他人は蹴落として然るべきだ
幸福とは上位入賞の勲章 負けないように 逃げないように

ママは、僕にこう教えた。
「他人を蹴落としてでも、幸せになるべき」であると。

矛盾する「ママ」の教えに対する苛立ち

真っ白な朝日に急かされて あの子の家に向かう電車の中
馬鹿な男の下世話な自慢話に 子供を連れ車両を変える母親を見たよ
各々の思想がぶつかり合って 満員電車は個人的な紛争地帯
僕は僕を保つので精一杯で その実誰かの肩にもたれていたよ

子供に性善説を説いているであろう母親が、下品な自慢話をする男を見て、子供の手を引いて車両を去った。男は危害を加えようとしたわけではなく、自慢話を友達か誰かに聞いてほしかっただけ。隣人を愛すべきだと言っておいて、「教育に悪い」、「不快だ」からと引き離すのは矛盾している。色んな考えを持つ人間がひしめき合う満員電車の中は、さながら紛争地帯のようだ。そんな場所で僕は、心理的にも体勢的にも、他人のことを気にする余裕などなく、自分を保つので精一杯。そういいながら、実は、隣の誰かに体重を預けていた。人に頼らない、迷惑を掛けないということは不可能?

「ママ」教えは嘘だった。じゃあ何にすがればいい?

ねえママ あなたは言ったじゃないか 嘘をつけばバチがあたると
神に祈れば救われると 苦労はいつか報われると

ねえママ 僕は知ってしまったよ 人間は皆平等だと
世界はあるがまま美しいと それ等は全くの詭弁であると

否定されてしまった性善説の 後始末を押し付けられた僕らは
逃げ場もなく小箱に閉じ込められて 現実逃避じゃなきゃもう笑えねえよ

「人は本来優しいものですよ」 それが嘘だと暴いたのはあんただろ
教育だ宗教だ道徳だ 何でもいいから早く次のをくれよ

ママが僕に教えたことには、たくさんの矛盾・嘘があった。
「隣人は愛して然るべき」と言うのなら、電車で下品な話をする男に眉をひそめ、車両を変える行為は何なのか?
「人は本来優しいもの」と言うのなら、戦争を起こした「裁かれるべき彼ら」は何なのか?
「人間は皆平等」と言うのなら、なぜ「他人を蹴落としてでも幸せになれ」と言うのか?


ママは正しい、ママの言うことは絶対だと思って生きてきた僕は、これからどうすればいいのか。
これからは自分で考えろと言われたって、今更無理だ。怪しい新興宗教でも何でもいいから、すがる存在を与えてほしい。

誰かにとっての善は、また別の誰かにとっては悪である

ねえママ あなたの言う通り 自分を善だと信じて疑わないときは
他方からは悪だと思われてるものよ あなただけが私の善なのよ

ママが教えてくれたことは嘘だらけだったけど、これだけは真実だ。
「自分が正しいと思っていることが、別の誰かにとっては間違っていることもある。ママが信じる善を教えられてきた僕は、間違いなくママにとっては善である。でも他の誰かにとっては悪かもしれないのだ」


「ママ」とは、「日本の教育」のことである

amazarashiのボーカル、秋田ひろむは、インタビューで「社会規範の崩壊」をこの曲のテーマにしたと答えている。

「身も蓋もないことを言ってしまえば、この曲は教育について歌っているんですが、その最も根源的な原風景として“ママ”が出てきたのは僕にとって自然なことだと思います。2番目のサビの《馬鹿な男の下世話な自慢話に 子供を連れ車両を変える母親を見たよ》は実際に東京の電車で見た風景で、それが基になってこの曲ができました。」



秋田ひろむ自身、愛だとか平和だとか、子供に綺麗事を説いているだろう母親が、男の行為を「悪」と決めつけて子供の目に触れさせまいとする行為に疑問を抱いたのではないだろうか。


性善説に登場する「ママ」は、特定の個人ではなく、日本の教育を指していると、秋田ひろむは言う。


私も父親になって思ったが、子供には幸せになってほしい。自分は悪口も言うし他人を傷つけたこともあるくせに、息子には高潔な人間に育ってほしい。でも、それだけでは幸せにはなれない。正直者が馬鹿を見る世の中で幸せを掴むには、多少のずる賢さも必要だと思う。


つまり、親である私自身、1本の筋がきちんと通った人間ではない。考えに矛盾を抱えているのだ。仮にそうでない人がいたとしても、日本の教育に一つも誤りがないとは言えない。

そんな人間が、そんな社会が、「これが正解ですよ」と子供に押し付けると・・・結果は目に見えている。


「正解」は存在しない。頭を掻き毟って、悩みながら生きていくしかない

家で、学校で、社会で、私たちは様々な教えを与えられる。「隣人を愛して然るべき」、「苦労は報われる」と綺麗事を教えられる一方で、「他人は蹴落として然るべき」、「幸福とは上位入賞の勲章」と厳しい現実も付き付けられる。


さて、成長してみてどうだろう。お隣の国とは仲が悪いし、苦労が報われないも当たり前にある。言ってたことと違う。それでいて、他人を蹴落とすような奴がのうのうと何の罰も受けずにのさばっている。


今までは、「正解」を与えられて、それを信じていれば良かった。しかしそれらは、その人にとっての「正解」に過ぎない。全人類にとっての「正解」など存在しない。「ママ」の言うことが絶対だと思って生きて、そうじゃないと知ったとき、私たちは何を頼りに生きていけばいいのか?



伊坂幸太郎の「砂漠」という小説の台詞を借りるなら、そんな状況の中で、結局、私たちは、「どうすりゃいいんだよ」って、頭を掻き毟って、悩みながら生きていくしかないのだ。


この曲にも、そういうメッセージが込められているように感じる。