悩んだとき、私は本を読む。
自己啓発本にハマっていた時期もあったが、伊坂幸太郎の小説の方が、100倍力を与えてくれることがわかった。
アンパンマンだったら顔を交換する前と交換した後くらい違う。ばいきんまんも瞬殺できるレベルである。
今回は、私が人生の指針としているといっても過言ではない、伊坂幸太郎作品の名言を紹介する。
- 1.たった一度の人生においては、誰もが初心者である
- 2.その生き方は明日死んでもいいやつですか?
- 3.過去に逃げるような人生を送るな
- 4.自分の大変さを卑下するな。かといって自分が一番大変とも思うな
- 5.本当はどこへでも行けるんだぜ?
- 6.仕事で人生は決まらない
- 7.人生は要約できない
- 8.お前に批判する権利はあるのか?
- 9.そのときにわかる最高の出会いなんてない。後から「あれは最高の出会いだった」ってわかるのさ
- 10.ウダウダ考えてないで、時には直感で行動しろよ
- 11.誰かの指標に頼るな。「どうすりゃいいんだよ!」って悩んで、悩んで、生きていくしかない
- 最後に
1.たった一度の人生においては、誰もが初心者である

「ラッシュライフ」より
でもな、人生については誰もがアマチュアなんだよ。そうだろ?
誰だって初参加なんだ。人生にプロフェッショナルがいるわけがない。まあ、時に自分が人生のプロであるかのような知った顔をした奴もいるがね、とにかく実際には全員がアマチュアで、新人だ
そう。全ての人類が、人生については新人、ビギナー、ルーキーなのだ。
威張り散らしている上司も、いつも他人を小馬鹿にしているアイツも、そして私も。新人らしく、失敗を恐れず、思い切りよく、それでいて謙虚に行きましょうよ。
私は見下されたり、不遜な態度を取られたとき、いつも「あなたも新人ですよね?その態度は無いんじゃないの~~~」と心が叫びたがっているんだ。
2.その生き方は明日死んでもいいやつですか?

「終末のフール」より
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
ローキックと左フックの練習ばかりしている格闘技のチャンピオンが、俳優との対談で「明日死ぬとしたらどうする?」と聞かれた。
チャンピオンは「いつも通りローキックと左フックの練習をしますよ」と答えて、俳優に笑われたところで上記のセリフ。
明日死ぬかもしれない。でも、明日だと決まったわけでもない。
なら、できることをやるしかない。だから私は、やりたくもない仕事をやって、2歳の息子のサンドバッグになり、嫁とモメながらゲームをする。
3.過去に逃げるような人生を送るな

「砂漠」より
学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ
大学時代が人生で一番楽しかった。
今は、やりたくもない仕事をやって、息子に自由時間を奪われている。
あの頃に戻れたら・・・。何度頭によぎったことだろう。
でも駄目だ。過去を懐かしがってもいいが、過去に囚われたままだと、「今」を大切にできないのだ。
4.自分の大変さを卑下するな。かといって自分が一番大変とも思うな

「ジャイロスコープ」より
もっと大変な人がいるから、なんて思ったら駄目だよ。そんなこと言ったら、どんな人だって、「海外で飢餓で苦しむ人に比べたら、まだまだ」なんてなっちゃうんだから
あ、でも、あれね、気をつけなくちゃいけないのは、「わたしが一番大変」って思っちゃうことね。「わたしだけが大変」とか
自分を客観視することは必要だけど、比べる必要はない。「大変だ」と感じている主観をもっと大事にしていい。
でも、「自分が一番辛い」と思うと、他人を思いやれず、傲慢な態度を取ってしまいがち。
5.本当はどこへでも行けるんだぜ?

「ラッシュライフ」より
人ってのはみんなそうだな。例えば砂漠に白線を引いてその上を一歩も踏み外さないように怯えて歩いているだけなんだ。周りは砂漠だぜ、縦横無尽に歩けるのに、ラインを踏み外したら死んでしまうと思い込んでいる
私にとって、今住んでいる場所、今の仕事、今の家族、今付き合っている友達・・・が世界の全てである。他にも世界が広がっていることは知っている。
家族や友人は別にして、住んでいる場所や仕事には執着していない。でも、環境を変えるのは怖い。
6.仕事で人生は決まらない

「アイネクライネナハトムジーク」より
あのね、歯車を舐めんなよ、って話だからね。どの仕事だって基本的には、歯車なんだから。で、歯車みたいな仕事をしていても、人生は幸せだったりもするし
「好きなことで生きていく」という言葉がもてはやされている現代。
確かにそれに越したことは無い。でも、我々ってなんで仕事をしているんでしたっけ?生活するためですよね。
じゃあ、生活に満足してたら、とりあえずはいいんじゃないの?
7.人生は要約できない

「モダンタイムス」より
人生は要約できねえんだよ
人ってのは毎日毎日、必死に生きてるわけだ。つまらない仕事をしたり、誰かと言い合いしたり。そういう取るに足りない出来事の積み重ねで、生活が、人生が、出来上がってる。だろ
ただな、もしそいつの一生を要約するとしたら、そういった日々の変わらない日常は省かれる。結婚だとか離婚だとか、出産だとか転職だとか、そういったトピックは残るにしても、日々の生活は削られる。
地味で、くだらないからだ。でもって
「だれそれ氏はこれこれこういう人生を送った」
なんて要約される。でもな、本当にそいつにとって大事なのは、要約して消えた日々の出来事だよ。それこそが人生ってわけだ
私が死んだとき、私の人生を要約すると・・・
1992年:誕生
20XX年:死去
の2つしか書くことがなさそうだ。
まあそれは置いといて、私は今日も上司にヘコヘコして、後輩に偉そうな顔をして、2歳の息子に顔を叩かれ、嫁とPS4の「地球防衛軍」をやってどっちが戦車に乗るかでモメている。
こんなしょうもない、誰かに語るまでもない、でも必死に生きている日々こそが人生なのだ。
8.お前に批判する権利はあるのか?

「首折り男のための協奏曲」より
いつだって、自分にこう問いかければいい。「俺が、もし、あいつの立場だったら、正しいことができたのか?」とな。そこで、「俺ならできた」と思えるなら、とことんまで非難してもいい。ただ、「同じ立場だったら、同じようなものだったかもしれない」と感じるならば、批判もぐっと堪えるべきだ
私は批判体質の人間である。自分に実害がないのに、「こんなことする奴の気が知れない」とか平気で批判していた。
このセリフに出会って頭を殴られたような感覚になった。「気が知れないなら批判してんじゃねえよ」と言われたように感じた。
一度相手の気持ちを想像し、自分でも同じことをしてしまわないか考えてから発言するようにしたら、人間関係がうまくいくようになった。
9.そのときにわかる最高の出会いなんてない。後から「あれは最高の出会いだった」ってわかるのさ

「アイネクライネナハトムジーク」より
いいか、後になって、「あの時、あそこにいたのが彼女で本当に良かった」って幸運に感謝できるようなのが、一番幸せなんだよ
もっと簡単に言えばよ、自分がどの子を好きになるかなんて、わからねえだろ。だから、「自分が好きになったのが、この子で良かった。俺、ナイス判断だったな」って後から思えるような出会いが最高だってことだ。
「星の王子さま」でも同じようなニュアンスのセリフが出てくる。
出会ったとき、その人はまだ大切ではない。一緒に過ごした時間がその人を「大切な存在」にする。
10.ウダウダ考えてないで、時には直感で行動しろよ

「砂漠」より
目の前で、子供が泣いてるとしますよね。銃で誰かに撃たれそうだとしますよね。その時に、正義とは何だろう、とか考えててどうするんですか?助けちゃえばいいんですよ
優柔不断な私は、この言葉に勇気をもらった。
時には主観的に、感情的に、直感で行動することも大切。
11.誰かの指標に頼るな。「どうすりゃいいんだよ!」って悩んで、悩んで、生きていくしかない

「砂漠」より
毎日毎日、わたしたちって必死に生きてるけどさ、どうしたら正しいかなんてわからないでしょ
何をやったら、幸せになれるかなんて、誰も分からない。そうでしょ
みんな、正解を知りたいんだよ。正解じゃなくても、せめて、ヒントを欲しがってる。だから、たとえば、一戸建てを買う時のチェックポイント、とか、失敗しない子育ての何か条、とか、これだけやれば問題ないですよ、っていう指標に頼りたくなる
でも、人生全般にはそういうものってないでしょ。チェックポイントとか、何か条とかはない。自由演技でしょ。
よく、怪しい宗教には、階級みたいのがあるでしょ。修行によって、どんどん偉くなる感じの。ああいうのは本当によくできていると思う。これをやったら一つ階級が上がって、上がっていくほど幸せになる、って言われたら、やっぱり気分的には楽でしょう?
つらいけど、楽だよ。何をすれば良いか分かっていて、しかも、結果も見えるんだから。でも、結局、そういうのに頼らず、「自由演技って言われたけど、どうすればいいんだろう」って頭を搔き毟って、悩みながら生きていくしかないんだと、わたしは思う
一番大好きな名言。
出口の見えない日々で、どうしたらいいのかわからなくて、誰かに正解を与えて欲しくて。
私の場合、自己啓発本を読み漁った時期もあった。でも、人生に答えはない。
人生は、「どうすりゃいいんだよ!」って頭をかきむしって、悩んで、自分自身で考えて生きていくしかない。
自分の人生の責任は、誰も取ってくれないのだ。
最後に
どこで見たか忘れたが、伊坂幸太郎が、自分の作品から”教訓”を得ようとすることに難色を示しているというような文章を見た記憶がある。
大変申し訳ないのだが、それでも私は、伊坂作品に何度も救われてきた。
そしてこれからも、何度も救いを求めて伊坂作品を読むことになるだろう。
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