たぬき暮らし

たぬき顔の嫁と子供と暮らしているので。

amazarashi「月曜日」の歌詞の意味を考察してみる

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また一つ、amazarashiが名曲を作った。

2018年3月12日にYouTubeで公開された『月曜日』は、阿部共実の『月曜日の友達』という漫画の主題歌として書き下ろされたものだ。

今回は、amazarashiの『月曜日』の歌詞の意味を、『月曜日の友達』との関連性もひも解きながら考察してみる。



amazarashi『月曜日』“Monday” Music Video|マンガ「月曜日の友達」主題歌

主題歌書下ろしの経緯

『月曜日の友達』の作者の阿部共実は元々amazarashiのファンだったという。作品の完結を機に、編集部が世界観の近いamazarashiの既存楽曲とのタイアップを企画した。オファーに対し、ボーカルの秋田ひろむも阿部共実のファンであり、「既存の曲ではもったいないので新たに曲を書きます」と回答。その一週間後にはデモを完成させ、異例の速さで『月曜日』は誕生した。

『月曜日の友達』とは

阿部共実の作品で、全2巻。
大人と子供の狭間である”思春期”を送る中学生を中心としたガールミーツボーイ物語。周りが大人びていくのに付いていけず、少し不思議キャラ扱いされている中学1年生の水谷茜は、輪を掛けた不思議キャラの月野透と、決まって毎週月曜日校庭で遊ぶ。

幻想的で美しい描写に魅了されながらも、思春期の頃に感じたワクワク感や痛みを思い起こさせる鋭さも感じた。読んだ後、「ウワーッ!」となった。私の貧弱な脳みそではうまく言葉にはできないが、中2の頃に真夜中家を飛び出して全力疾走したときのことをふいに思い出した。そんな漫画だ。

歌詞の考察

思春期の少年(又は少女)の視点で、友達との関係性を歌った、漫画のシチュエーションを踏襲した歌詞になっている。随所に漫画の台詞が散りばめられている。

舞台は学校

体育倉庫のカビたウレタンの匂い
コートラインは僕らを 明確に区分する
渡り廊下で鳩が死んでた
いつもより余所行きな 教科書の芥川

銀杏BOYZの「青春時代」の歌詞でも体育倉庫のカビ臭さが歌われている。体育倉庫はカビ臭いものなのだ。コートラインとは体育館の床に貼られている様々な色のテープのことだが、ここで区分されるのはスクールカーストだろうか。昼休みのドッヂボールでも内野は陽キャラ、外野は陰キャラということはよくあった。ちなみに私は陰キャラだった。昔の私にとって、生き物の死骸というのは今よりもずっと衝撃的なものだった。それこそ教科書に出てくる歴史上の人物がいつもと違ってよそよそしく見えるくらい。

型にはまらない「幼さ」を持つ友達に救いを感じる

支柱に縛られた街路樹 まるで見せしめの磔
好きに枝を伸ばしたいのに 同じ制服窮屈そうに
右向け右で左見て 前ならえで列に背を向け
救いなのだその幼さが 君だけは大人にならないで

綺麗に並べられた街路樹を学校の生徒にたとえている。みんなと同じ格好をさせられ、個性を押さえつけられ、大人が美しいと思うように矯正され、そうしてみんな大人になっていく。私はおどけて適度に反抗してカッコつけながら、どこかで折り合いを付けて大人たちとうまくやっていく処世術を持った同級生たちがあまり好きではなかった。不器用な自分にはできないことだったから。
・・・と私の話は置いといて、他者に迎合することを「大人になった」、他人の言う通りにしないことを「幼さ」だと表現している。周りがものわかりのいい人間になっていくのに戸惑い、「幼さ」を持ち続ける友人に救いを感じているのだろうか。

居場所がわからなくなる

月曜日、蹴飛ばしたら
ゴミ箱にも嫌われて 転がって潮風に錆びた
息苦しいのは ここが生きる場所ではないから
僕ら地球外生命かもね
好きなこと好きって言うの こんなに難しかったっけ
それならば僕は息を止めて潜るよ
君の胸の内の深さには 遠く遠く及ばないとしても

月曜日、それは学校に行かなければならない日。蹴とばしたのはゴミ箱?「僕」はゴミ箱からも嫌われるほど、嫌われ者なのだろうか。思春期の頃、自分の居場所はここではないと考えたことが何度もあった。秋田ひろむもそういう感情を歌っているのだろうか?『地球外生命体かもね』は漫画の台詞とリンクした歌詞だ。
大人になってくると、人の目を気にして、好きなことを好きと言うのもためらってしまうことがある。そんなことになるくらいなら人の目が届かない、人の声が聞こえないように、心を閉ざしてしまった方がマシだということだろうか?

仲良くなればなる程、知らないことの多さに気付く

駅ビルのコンコース 待ちぼうけ
ソフトクリーム溶けた 全音符のクラクション
近寄る度 多くを知る 知らないことは多いと
河川から望む学区外

近付けば近づくほど、知らないことの多さに気付く。漫画の台詞ともリンクした歌詞だ。
「駅ビル」からは友達の新たな一面を知るきっかけとなる非日常感、「河川から望む学区外」からはまだ学区内にいて、学区外にはまだ知らないたくさんのことがあるのだということが演出されている・・・(と思う)。

誰しも変わっていく

明日の話はとにかく嫌い 将来の話はもっと嫌い
「儚いから綺麗」とか言った 花火が永遠ならよかった
見えてるものを見えない振り 知ってることを知らない振り
いつの間にそんなに大人びて笑うようになったのさ

「変わらないものが、私は好き」森絵都のリズムという小説に出てくるさゆきちゃんもそう言った。「大人にならないで」と願った友達の、大人びた言動を目にしたときの喪失感を歌っているのだろうか。私も似たような経験があるが、急に友達が遠くに行ってしまったような寂しさを感じたことを覚えている。でも、明日は来る。将来もいつか訪れる。変わることは避けられないのだ。

伝わる思いで別の人間だと思い知らされる

月曜日、蹴飛ばしたら
川の水面で水切り 満月を真っ二つ切り裂いた
胸が苦しいのは 互いに思うことが伝わるから
僕ら超能力者かもね
嫌なこと嫌って言うの そんなに自分勝手かな
それならば僕は息を止めて潜るよ
君の胸の内の深さには 遠く遠く及ばないとしても

月曜日、蹴飛ばしたのは石?跳ねた石の波紋で水面に映る月が2つに割れる情景が目に浮かぶ。
「超能力」は漫画における重要な要素で、月野は超能力を身に付けることで自分のアイデンティティを確立しようとする。なぜ思うことが伝わると胸が苦しいのか?それは、お互いに違うことを考えていることがわかる、つまり別の人間であることを思い知らされるから。

大人になってくると、人の目を気にして、嫌なことを嫌と言うのもためらってしまうことがある。そんなことになるくらいなら人の目が届かない、人の声が聞こえないように、心を閉ざしてしまった方がマシだということだろうか?

人の心が人を特別にする

普通にも当たり前にもなれなかった僕らは
せめて特別な人間になりたかった
特別な人間にもなれなかった僕らは
せめて認め合う人間が必要だった
それが君で おそらく僕で
ゴミ箱にだって あぶれた僕らで
僕にとって君は とっくの昔に
特別になってしまったんだよ

漫画のクライマックスで使われた台詞が歌詞にもふんだんに採用されている。月野は、自分自身を無価値だと思い、一芸を見に付けたり、人と違う自分を演出することで特別であろうとし、超能力に縋った。そんな月野に対し、水谷は「お前はとっくに特別だ。人が自ずと特別になるんじゃない。人の心が人を特別にするんだ」と言う。

毎週月曜日の秘密の時間を共有する中で、いつしかお互いが特別な存在となっていた。特別とは、そういうもの。

いつか別れがあると知りながら永遠を誓う

月曜日、蹴飛ばしたら 大気圏で焼け落ちて
僕の胸に空いたクレーター
確かに似た者同士だったけれど
僕ら同じ人間ではないもんな
番怖いのはさよなら それなら約束しよう
永遠に別れはないと
永遠なんてないと知って誓ったそれが
愛や友情には 遠く及ばないとしても

それぞれが自分という存在を確立していく中で、似た者同士だと思っていた友達とも、置かれた状況、好きな物、将来の夢など、様々な違いに触れ、別々の人間だということに気付かされる。

別々の人間であるなら、死はもちろん人間関係もいつか終わる。永遠などない。無意味だと知りながら永遠を誓うという青臭い行為。私もよくあった。「絶対」だとか「一生」だとか、そんな言葉を軽々しく使っていた。私は単にバカだっただけだが、この歌詞では、急速に大人へと近付く中での子供じみた幼さがとてもうまく表現されていて、それがリスナーの心を打つ。

最後に

秋田ひろむは本当にこの曲のデモを1週間で完全させたのだろうか。もはや天才を超えてバケモノなのではないだろうか。

いやもちろんいくらバカでもバケモノでないことはわかっているのだが。

漫画と音楽。お互いがお互いを高め合っていて、これはある種タイアップの理想形であると思う。

思春期の頃、私は嫌な思い出の方が多い。あの頃の約束、将来の夢、よく覚えてないが多分1つも叶えられていない。それでも思春期時代は愛すべきものだと、この曲を聴いて思った。


私は月曜日があまり好きではなかった。学生時代の私にとっては学校が、サラリーマンの私にとっては仕事が始まる曜日だからだ。この曲に出会えて、少し月曜日が好きになれたような気がする。

そういえば、私は思春期の頃を思い出すとき、オ○ッコをしたときのように体がブルッと震える感覚に襲われることがよくある。なんなんだろう。