数年前の話です。
久しぶりに実家に帰ったのですが、何か様子がおかしいのです。
庭先に掲げられた日本国旗。玄関ドアに貼られた「NHK訪問お断り」のシール。
そして夕食時、父は言いました。
「南京大虐殺は中国のねつ造で、実はなかったって知ってるか?」
「南トンスルランド、あ、韓国なのことなんだけど・・・」
完全にネットの過激思想に影響されとるやないか!!
かつて、「チャングムの誓い」や「BoA」、「インリン・オブ・ジョイトイ」が好きだった父。
中国人の従業員を抱え、一緒にご飯を食べたり、下ネタで盛り上がっていた父。
それが今や、twitterやfacebookで中韓を批判する人たちと繋がっているというのです。
父さん、一体どうしたんだ・・・。
今回はそんなお話です。
社長からの転落
祖父が立ち上げた事業が成功し、我が家はそれなりに経済的に余裕のある家庭でした。
祖父の事業を引き継いだ父にも、結構な収入があったんだと思います。
着もしないダンヒルのオーダーメイドスーツを買ったり(仕事はいつも作業着)、もしからしたらスキー旅行に行くかもしれないからと4WDのハイエースを買ったりしていました。とりあえず高い時計も買っていました。
金遣いが荒かったです。
しかし、父は、経営者に向いていませんでした。
要領が良くコミュニケーション能力が高かった祖父に比べ、父は人付き合いが苦手でした。
祖父が生きているうちは良かったのですが、亡くなった後、既存の取引先との関係を維持できず、新規開拓にも失敗し、経営状態は悪化。
数年で廃業してしまいました。
その後何度か転職し、現在はコールセンターで働いています。
ネトウヨのきっかけは、事業の失敗
廃業する1~2年前、父の机の上で「嫌韓」というタイトルの本を見付けました。
同じ頃、父は、好きだったはずの韓国のりやキムチを食べなくなりました。僕は既に実家を出ていましたが、廃業する頃には、韓国の悪口を時々言っていたように思います。
ストレスが溜まっていたと思いますが、家族にやつあたりすることは決してありませんでした。
事業失敗によるストレスのはけ口として父が選んだのが、中国・韓国だったのです。
心の安寧を保つ手段としての他者批判
中国の独善的で強引な外交手段や、国民感情的に左右される合理性を欠いた嫌がらせとしか思えない韓国の対応は、僕も嫌いです。
でも、だからといって、何でも過剰に反応して、あまつさえ全ての国民を憎むのは、もはや差別です。
父のように憂さ晴らしで、努力せずに正義を盾に優越感に浸るために中国や韓国を批判するのは、ただの自慰行為です。
批判や誹謗中傷は誰も幸せになりませんし、健全ではありません。でも、気持ちいいです。父は、その誘惑に勝てなかったのかもしれません。
とはいえ、家族を標的にするくらいなら、顔が見えない誰かの悪口を言ってくれた方がよっぽどいいと思います。
そして、社長的な立場だったのに、事業を潰した後、すぐに仕事を探して家庭を支えてくれた父には、本当に感謝しています。
もし僕が同じ立場だったら、人に使われるということに耐えられず、無職になっていたかもしれません。
批判する権利はあるか?
世の中は批判で溢れています。
不倫した芸能人、盗作疑惑があったデザイナー。メディアは鬼の首を取ったかのように報道します。
もちろん、不倫はいけないことだと思います。自分が不倫されたら傷つきます。
盗作もそうです。
でも、それが第三者である我々に何の関係があるのでしょうか。
そのことで、彼らを「クズ」だという権利が、僕らにはあるのでしょうか。
言論の自由を大義名分に、誹謗中傷に近い批判を、匿名という安全地帯から世界中に投下して、彼らに浴びせかけていいのでしょうか。
彼らや、その家族の生活を狂わせていいのでしょうか。
自業自得、自己責任で済ませていいのでしょうか。
もし自分が同じことをされたら、耐えられるでしょうか。
伊坂幸太郎の「首折り男のための協奏曲」という小説に、こんな台詞が出てきます。
いつだって、自分にこう問いかければいい。「俺が、もし、あいつの立場だったら、正しいことができたのか?」とな。そこで、「俺ならできた」と思えるなら、とことんまで非難してもいい。ただ、「同じ立場だったら、同じようなものだったかもしれない」と感じるならば、批判もぐっと堪えるべきだ
批判や誹謗中傷は、くれぐれも慎重に。
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